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3.消えた王女


3.消えた王女

 かのガルディアの森で、何度かモンスターとの戦闘を行った2人だったが、特に怪我を負うわけでもなく、目指すガルディア上に到着した。
 目的地であるガルディア城は小高い丘の上に建てられていて、城全体が、大地の玉座に座ってでもいるようなふうだった。少し茶の掛かった城の壁と、黒ずんだ赤の屋根が、周りの濃い緑の森と上手く調和し、人間の建てた物であるというに、全く違和感を感じさせないものとなっている。
 横幅50mはあるであろう石段を、一段一段登った先に、分厚い木でできた城門が見えてきた。高さは10mほど、幅は15mほどで、両開きになるようになっている。今はきっちりと閉められているが、イベントのときなどには思いきり開け放たれるのだろう。
 そんな立派な門の横に、申し訳ばかりにあるのが、通用門だった。そこは思いきり開かれている。だが、兵士の姿は見えない。
 「……結構無用心なんだなぁ……。前来た時は、番兵さんがいたような気もするんだけど…」
 「ん? ……まぁ、ラッキーなんじゃねぇの?」
 そう、輝は軽く受け流し、通用口を潜った。それにクロノも続く。それから少し左の方へ歩き、再び現れた階段を昇っていこうとすると。
 ダダッと兵士らしき2人の人物が、シンプルな槍を構えたまま走り寄ってきた。やがて、2人まであとひと踏み込み、という辺りで立ち止まり、槍を交差させてゆく手を阻む。
 「オイオイ……やりあう気はねぇって!」
 慌てて輝が両掌を相手見せるように、胸の前まで腕を上げるが、兵士達はあまり気にかけていない。
 「「何を言う!」」
 綺麗に2人の声が重なる。
 「武装しているな? もしや……」
 「もしや」
 「もしや」
 「……もしや、何だよ?」
 そう輝が顔を顰めると。
 「どーして侵入者が」
 「我々の会話に入ってくる!」
 「……俺が侵入者ならきちんと『シゴト』しろよな。仕事忘れてどーすんだ」
 皮肉をきかせて輝が言った時、玄関ホールに鋭い一声がとんだ。
 「おやめなさい!」
 びくっとした兵が、声のした方を見た。つられて輝とクロノの視線も動く。
 その視線の先にいた人物は、見事な金髪をたかだかと結い上げ、色とりどりの宝石を飾り、新雪のような純白の生地に、銀糸で大小様々な花を刺繍した見事なドレスに身を包んでいた。きっと結ばれた唇は鮮やかな赤で、こちらを見つめる眸は、サファイアのように静かに輝いている。
 「……リーネ王妃!」
 慌てて兵士2人がひざまづいて、頭を垂れた。王妃の叱責が飛ぶ。
 「その方々は外界で私が世話になった者。客人としておもてなしなさい」
 そのセリフに驚いたのは、兵士ばかりではない、クロノもそうだったが、何も言えなかった。兵士と王妃の会話が続いていたからである。
 「……もてなすと……?! しかし、こんな怪しい……!」
 兵士がどもりつつ拒むが、リーネは首を振ってそれに答えた。
 「……私の命が聞けないと?」
 口調は優しいが、その奥にあるものは強い。慌てて兵士が床に額をつけた。
 「いえ! めっ……めっそうもございません!」
 「よろしい。……それとお2方」リーネがクロノ達に視線を移す。「のちほど、私の部屋へ」
 そう言い渡すと、満足そうに、リーネは大きな木製の扉の向こうへと消えていった。しぶしぶ兵士が道を開ける。
 「さっきのがリーネ王妃なのか?」
 輝の問いに、左の階段のほうへ戻った兵士が答えた。
 「そうだ。……まったくなんだって王妃様はこんな子供などと知り合ったのやら……」
 「あるいは」右の方の兵士も口を差し挟んでくる。「お前らが王妃様をおかしくさせたんじゃないのか?」
 「俺等が? 王妃を?」
 輝が吐き捨てるように言い、右側の兵士のほうへとずかずかと歩み寄る。
 「城の中に入れろっつったのは王妃だ。それを拒むのは王妃を疑うってことか? だいたいあの王妃のどこがおかしい。ごく普通の女性じゃねぇか」
 「ちょっ……ちょっと、輝〜!」
 クロノが兵士の首根っこをつかんでいた輝の手をもぎはなした。自由になった兵士が咳き込む。
 「ごほっ、ごほっ……。ますます怪しいんだがなぁ……。いいか、リーネ王妃がおかしいってのは、外見じゃなくって、行動なんだ」
 「お城に戻ってきなさってから」もうひとかたが言葉を次ぐ。「前々から若く見える方だったが、更に若く見えるようになった。それに、なんでも、トルースの裏山で王妃様を発見した街人に、『私はリーネじゃない』とおっしゃったらしい。それから……あと、髪飾り」
 やっと落ち着いたか、右の兵士がその続きを言う。
 「陛下に誕生日プレゼントとしてもらったという紅い珊瑚の髪飾りをどうもなくしなさったそうな。玉座に座る時はもちろん、食べる時、入浴の際、ご就寝なさるにつけても肌身は為さずお持ちになるほど気に入っていなさったというに」
 「リーネ王妃が王妃ではないと言った……?」
 「見つかったのは、トルースの裏山だって?」
 クロノと輝が顔を見合わせた。あの『リーネ広場』から怪しげな機械を使ってたどり着いたのはまさにその裏山であった。ということはもしかして。
 ふたりは右手奥の階段を昇った先にある、リーネ王妃の部屋を目指した。裏山で見つかったと言う『リーネ』が、捜し人であることを望みながら。  「来ましたね」
 リーネの部屋の、開け放たれたドアをノックすると、リーネが声をかけてきた。それから、まわりに付き添っていたメイド達を見回しつつ言った。
 「一度下がってちょうだい。この方々と話があるのです」
 その命を聞き、さっとメイドが下がる。重々しい扉がすうっと閉まると、リーネはクロノ達のほうに向き直った。
 「さ、遠慮せず、もっと近くへ……」
 「え、え……?」
 突っ立ったままだったクロノが戸惑う。それもそうだろう。クロノにはまだ、確証がない
 近寄ろうか、声をかけようかと迷っているクロノに返ってきたのは、弾けるような明るい笑い声だった。
 「ふふっ。クロノってば、おもしろいんだから。……ね、分からない? ほら」
 その声を聞き、クロノが『リーネ』を見た瞬間、悟った。
 「……マール?!」
 「あ、やっと分かってくれた? そ、私よ」
 リーネ、もといマールがまた笑う。先ほどまでの態度とは全くの別人だった。
 「ね、私さ」と、マールが声を顰めた。既にクロノと輝は彼女のそばに寄っている。「何か……このお城の、リーネって人に間違えられちゃってるみたいなの」
 それを聞いた輝が一つ頷いた。
 「やっぱりな」
 「ここまで来て正解だったね」と、クロノも満足げに言った。しかし、そのあとで、あれ、と言って付け足す。「じゃあ……本物の、リーネ王妃様は、どこにいるんだろう?」
 「そのことなんだけど」クロノの口からリーネ王妃の事が出るのを待っていたかのように、マールが答えた。「どうも行方ふめ……」
 ひたかくしに隠してきた一つの秘密を、遊び友達に語るように、いたずらっぽく輝いていた、蒼の眸が、セリフの途中で凍りついた。
 「マール?」
 クロノがそう声を掛けたとき。
 マールの全身が青白く白熱し始めた。うっ、と、クロノと輝がのけぞる。たちまち部屋全体が熱い空気を孕み、マールの周囲3mぐらいがあまりの熱さに近寄れない。
 「マールっ……マール!!」
 それでも近寄ろうとするクロノを、輝は押しとどめた。その引きの強さに少し驚きながら。
 「……心がばらばらになってくみたい……。何……何が…! 助……けて……クロ……!」
 途切れ途切れに聞こえていたマールの声が聞こえなくなったかと思うと、部屋中が白で満たされた。あまりにも眩しい光に、2人が目を庇う。やがて、ちかちかしていた眼が、本来の働きを成す事が出来るほど回復したとき、既にマールの姿は部屋の中に無かった。
 「……マール……?」
 力の篭っていない声で、クロノがそう呟いたとき、ドアがかなり乱暴に叩かれ、こちらの返事もまたずに誰かが入ってきた。城に使える人々、いや、万が一王だったらこれをどう説明しようとあれこれ輝は考えたが、その人物が誰かを知るや、考え続ける必要性を否定した。
 入ってきたのはルッカだったのである。ここまで走ってきたのだろう、はあはあ言っていて、手には手製のエアガンが握られたまま。ガルディアの森でモンスターに遭い、時間を食ったに違いなかった。
 「あの子は?!」
 いったいどうやって城に入ったのかを聞く前に、ルッカが訊いてくる。輝がドアをさりげなく閉めこの部屋で起こったことを簡潔に説明すると。
 「なんですって? 消えたぁ?!」そう叫んでいながらも、次に言った言葉は、「……やっぱりね」だった。
 「やっぱりって……どういう事?」
 そう尋ねるクロノの声からは、まだショックが抜けきれていない。
 「ええと、これはタイムパラドックスの典型的な型になるのね」
 「タイムパラドックスと、マールと、なんの関係が。……最初から説明してくれないか」
 クロノが顔を顰める。それがルッカの眼にどう移ったかははかる由も無いが、ともかくルッカは説明し始めた。
 「ともかく、ここはガルディア王国だってのはわかるわよね? ……でしょう。でも、ここはガルディア王国なんだけど、私達の知ってるガルディア王国じゃなくて、400年も前の……A.D.600年……中世のガルディア王国なのよ。そしてマールなんだけど……恐らく彼女は、自分の先祖に間違えられたんだわ。あんた達が行っちゃってすぐに思い出したの、あの子の名前と、誰だったかを」
 そこまで聞いていたクロノがはっとした。
 「先祖に間違えられたって……つまり、マールは……マールディア……王女……?」
 「そゆこと」ルッカが頷いた。「そのマールの身に異変が起こったって事は、この時代にいる彼女の先祖、リーネ王妃の身に何か起こっているに違いない。ガルディアの血を絶やすような、何かが……」
 「どうでもいいが、急ごうぜ」
 ずっと黙ったままだった輝がじれったそうに言った。
 「『ガルディアの血を絶やす何か』が何だって言ったら、リーネ王妃が殺されるぐらいしかねぇ。今しがたマールが消えたってことは、今、さっき、リーネ王妃の命に関わる事件が始まったって事だろう。って事は、上手くリーネ王妃を連れ戻す事が出来れば、ガルディアの血は絶えずに……」
 「マールが、戻ってくる」
 クロノがはっと顔を上げる。
 「当たり、よ」ルッカも満足げに頷いた。「既に怪しい場所をサーチしてあるわ。……急ぎましょう!」
 たまたまガルディアの森のそばを通りかかった青い服を着た青年に目的地の場所を聞き、3人はそこへ直行した。行き先はマノリア修道院。ルッカが収集した情報によると、修道院にはリーネが行方不明になってから、調べはしたものの、何もなかったという。だが、ルッカが注目したのはそこを調べに言った兵士が、何かありそうなのはあそこだけなのだがなぁ、と、付け足したことだった。そのわけは、修道院の大きさだった。外観の大きさと、内部の大きさが、明らかに違うのだと言う。
 「それを聞いてぴーんと来たのよ、もしかしたら、修道院の奥に隠し部屋があるんじゃないか、ってね。ま、頭の固い城のお偉いさんじゃクソ真面目過ぎて物を隠すって事を知らないから、気付かないのも当然よね。この天才少女ルッカちゃんには分かっちゃうんだから!」
 「……ふーん……」
 そのたぐいの自慢には慣れているのだろう、クロノはあいまいな返事を返し、形だけでも拍手してやった。苦々しい顔で歩を進めていた輝が、はた、と、立ち止まる。
 「……あれの事か」
 その言葉で顔を上げた2人は、重なって生えている木々の間から、薄い十字架だけを覗かせている、マノリア修道院を見つけた。早速近寄ってみる。
 「不気味ね」
 いつに間にか曇ってきた空をバックにそびえる尖塔を見つつ、ルッカが呟いた。
 「全然修道院なんて感じがしないな……。この時代じゃこれが普通なんだろうか?」
 そう小首を傾げたクロノと、入るのをためらっているルッカを、輝は、入ってみなきゃ何もわかりゃしねぇぜ、と、修道院の中へ入れた。
 内装は別段変わったことの無い修道院だった。簡素な木製の長椅子に、女性をかたどったステンドグラス。小ぶりのパイプオルガンと、その前に静かにたたずむ4人のシスター。だが、確かに、外から見たときよりも、奥行きが浅い。少し注意してみれば、誰でも分かるぐらい、はっきりと違う。
 「やっぱ、怪しいわね。ぜったいここ、何かあるわよ」
 ルッカがそう眼を光らせたとき。
 「あ、あった」
 奥へ奥へと進んでいたクロノが、床から何かを拾い上げた。
 「……何? もう何か見つけたのぉ?」
 急な展開に毒気を抜かれたような感じである。だが、クロノの差し出したものに反応を示した輝を見て、再び顔を引き締めた。
 「これ……珊瑚のアクセサリー。輝、あんた何かこれについて知ってるのね」
 「ここを見ろよ」
 輝がアクセサリーの中央部、金を掘りこんで作られた土台を指さした。赤い地色の盾に、浮き彫りの黒竜……。
 「これ、ガルディア王家の紋章じゃない! じゃあ、これ、王族の誰かのもの……いえ、今現在生きる王族は王と王妃だけで、男性は髪飾りなんかつけないから……」
 「あ―、これなのかな? 兵士が言ってた、リーネ王妃の珊瑚の髪飾りって」
 軽くそうクロノが言った途端、3人は辺りから殺気を感じた。牙を向いた猛獣……いや、モンスターが放つ、まがまがしいものだった。
 「……注目、集めてるみたいね」
 「注目してもらっても何も発表する事はねぇのになあ?」
 「……学校じゃないんだから……」
 緊張を解くための会話をしている間にも、マノリア修道院内にいたシスター達は、その輪をぐんぐん縮めてくる。その距離5mと言うところで、突如としてシスター共が、炎に包まれた。それも、紅く熱い、あの炎ではなく、青白い、冷たい、魂を思わせる炎である。何がしかの力が作用して、シスター共の命を奪おうとしているとは考えにくかった。むしろ、力を与えている、というような感じだった。
 それが正しい事を証明するかのように、青白い炎が再び消え去ったとき、そこにいたのは、紺の修道服をまとった修道女ではなく、大蛇の下半身に、ピンクの髪を振り乱した、4匹のモンスターだった。
 「やっぱりここは……おかしいみたいね!」
 エアガンにBB弾を詰め込み、連射するルッカに、
 「なんでこんな神聖であるべき場所にモンスターが巣食えるんだ?」
 鋼を打った刃の日本刀を振りかざして切りつけつつ、クロノが首をかしげる。
 「そりゃあ……親玉がモンスターだからか、もともと神を祭っちゃいねぇか……どちらかっていうより、どっちも正解だろうがな」
 軽く動かした大剣が弧を描き、モンスター……ミアンヌ……の胴体を二つに分けた。刃を動かしたとき生じた空気が、ついでに、その後ろにいたもう一匹にぶち当たり、やはりつきぬけて行く。  4匹全てが倒れた後の修道院内は、異臭が立ち込め、もう、聖なる場所とは言いがたい状況になっている。
 「あ―、びっくりしたぁ……」
 ルッカがふぅ、と息をつき、エアガンを下ろした直後。彼女の真後ろに、かの青白い炎が燃え上がり、たちまちミアンヌに変わった。気付くのと、反応が、ほんの少しばかり遅れていたならば、ルッカの背中には赤い血を滲ませた3本の引っかき傷が付いたに違いない。ともかく、ルッカは床に手をついて、第一撃を交わした。それから、後ろに跳びすさりつつ、焦点を定め、引き金を引いて、ルッカはギョッとした。いつの間にだか、ミアンヌは左右に分かたれ、剣を振り下ろした『何か』がそこに立っている。
 「ひ……人に当たるぅ〜!!」
 とっさにエアガンを上にずらし、弾の軌道を変えたため、突如として現れた『もの』に直撃はしなかった。ほんの少しばかり、かすっただけで済んだ。
 「……全く、危ない奴だ」
 その怪人物が、茶の手袋で、腕と思しきあたりをさする。それとほぼ同時に、ルッカはすばやくクロノの陰に走りこんでいた。
 「あ、そう言えばルッカ、嫌いなんだっけ? ……蛙」
 まさしく、現れ出でたのは、人のごとく服を着、剣を帯び、マントを羽織り、盾を掲げ、二足歩行をする、ほぼクロノと同じ背丈を持つ蛙だった。

 「……確かに俺はこんな姿でいるが……」 そのまま、勝手にカエルと呼べ、と言った巨大蛙は、溜息をつきつつ頭を掻いた。「それにしてはいささかリアクションがオーバーすぎるぞ」
 「だ……だって、だって……」
 「昔、近所の悪戯坊主に、背中にカエルを放りこまれたんだよね」クロノが苦笑する。もっとも、そんな嫌がらせを受けたのは、ルッカがその子供をイヤと言うほどからかったからだったのだが。「ともかく、カエル……さんはどうしてこんな所に?」
 クロノの問いに、カエルが答える。
 「……リーネ王妃をお捜し申し上げて……最終的にここに辿り着いた。城ではリーネ王妃が見つかったと騒いでいたが、俺には分かる。……あの人は、王妃ではない。もっとも、誰も俺の言う事なぞ聞かなかったがな」
 「じゃあ、目的は同じと言うことですね」
 クロノがホッとするように言った。先ほどの剣技を目の当たりにして、争おうとするほど、クロノはまだ強くない。
 「では、お前達も? しかし妙だな、全く王妃様とは関係が無いように見えるが……。城でもお前達のような風体の人物は、見かけたことがない」
 「ええと、その。ちょっとわけありでして……」
 クロノが頭を掻いたとき、輝が焦れて言った。
 「おい、早く進もうぜ。じゃねぇと、王妃が殺されちまう。ワケを話すのなら、歩きながらにしようぜ」
 「え、じゃあ……一緒に行く……の?」
 ルッカが泣きそうな顔になる。巨大蛙と並んで歩く、自分の情けない姿を想像したのか。
 「ともかく、一緒に行くにしても、そうでないにしても、奥へと続く道を探さないと」
 クロノはそう言い、部屋の中を改め始めると。
 「隠し部屋への入り方なら俺が知っている」
 そう言い、カエルは隅にあったパイプオルガンの元へと歩み寄った。それから、右手(?)をキィの上に置き、掌でキィを押して、キィを沈み込ませておいてから、そのまま手を右に移動させた。
 「グリッサンド……。意外だな、そんな弾き方を知っているなんて」
 妙な事に輝が感心している間に、歯車がきしみ、反対側の隅の壁が上へとめくれあがり、扉の姿をあらわにした。
 「な……なかなか……凄い蛙なのね」
 そう言うルッカに、カエルは複雑な表情を向けた。

 隠し扉の奥は、言葉の通り、魔物どもの巣窟だった。廊下、階段、部屋など、いたる所にモンスターがいる。ある部屋のモンスターなどは、生意気にもワインなどを飲んで、こちらはもともと人間であると言うに、『早くもとの姿に戻りなよ』と急かしてきた。どうも、何匹かのモンスターが交代で兵士として人間に化け、城にもぐりこんでいるらしい。しかも、違う部屋に閉じ込められていたリーネ王妃お付きの兵士の話によれば、そのボスは大臣に化けたモンスターだと言う。大臣に成り済ましているならば、リーネ王妃に近付くチャンスは多いにあった訳だから、リーネ王妃がこの修道院にいる可能性が確実なものとなってきていた。  もう一つ設けられていたパイプオルガンで、同じように仕掛けを動かし、ひときわモンスターの多い階段を上った先の、黒々と塗られた扉を開ける。  それと共に、低い、濁った声が聞こえてきた。
 「さぁ、リーネ王妃よ、この世に別れを告げるときが来たようですぞ。死後の幸せを願って、この像に、お祈りでもされたらどうです」
 だが、次に聞こえたのは、一般的な祈りの言葉ではなかった。
 「……ここな像は偽りの雑。邪の者が造りし物には聖なる力などひとかけらもありはしませぬ。祈ったとしてなにも意味も成しません。いえ、魔物の作ったものを崇めると言う行為は、魔王を崇めると同じ。どうして人間である私がそのような事、出来ましょうや」
 「王妃様!」
 カエルが叫んだ。その一声で、大臣の姿を借りた魔物と、リーネの注目が入り口の方に向けられた。
 「グレン……?!」
 「お下がりください」王妃のセリフを遮って、カエルが鋭く言った。「この不届き者めを片付けちまわなければ」
 「ええ……。それは」
 「ぎぇへへへ……無駄無駄ぁ」 そんなやり取りを中断させたのは、大臣の汚らしい声だった。「ここからは誰も生きて返さん……これからは魔族がガルディア王国を動かすのだ」
 「魔族……ですって?」
 ルッカが顔を顰める。クロノも唇をかみ締めた。
 「リーネ王妃を連れ去ったわけが、今、分かった……。こいつは、今度はリーネ王妃に化けて、自分の子供をガルディア王家の子とし、ガルディア王国を乗っ取るつもりだったんだ……!」
 「『だった』ではない、『である』さぁ……。くくく……。だが、お前は、その事を間抜けなガルディア王に奏上する前に、ここで死ぬのだ!」
 大臣の体から青白い小さな雷がいくつも生まれる。やがて小さなからだが膨らみ始め、豪奢なマントを無残に引き千切った。
 「だいじーん……チェーンジ!」
 さらにまがまがしい声で叫んだとき、茶色の物体の上から、2本、太い腕がにょきっと突き出た。そして、にび色に輝く、直径10cmはありそうな、大きな瞳。
 「正体現したな、大臣め……!」
 苦々しそうにカエルが言い、すらっと剣を抜きかける。それを、密かに、リーネ王妃が押しとどめた。もちろん、魔物はそんなやり取りには気付いていない。
 「大臣ではない」誇らしげに声を上げる。「俺様はこの辺り一体のモンスターを引き入る役目を魔王様から直々に任せられた、ヤクラよ」
 既に戦闘態勢に入った敵を認め、クロノ・ルッカ・輝も応戦の構えを取った。
 誰もが次に行われるであろう激戦を想像した。恐らくヤクラが仕掛けてくるであろうと、少なくとも3人は予想した。だが、戦闘の火蓋を切ったのも、幕を引いたのも、鋭く投げつけられたナイフだった。
 カエルの手から、リーネの手へ、3本の、ルビーで飾り立てられたナイフがわたる。鋭い気合と共に、銀の軌跡を残して、ナイフが飛ぶ。速い、鋭い、投げる動作に無駄はない、しかも正確にヤクラの2つある眼に、全て突き刺さった。
 「な……な……!」
 予想外の攻撃に怯み、脳天を突く痛さで立ちあがったヤクラの、ちょうど腹の辺りに、とどめの超特大長剣がめり込んだ。もちろん、仕掛け主は、王妃である。
 「好き勝手してくれたお礼。苦しまずに成仏させて差し上げますわ」
 そう言ってからすぐ後に、ヤクラの巨体が床に倒れこんだ。赤黒い粘つく液体がやがて、床を紅くそめていく。
 「……凄い……」
 ルッカが息を呑んだ。
 「これ、何か……俺達が干渉しなくても大丈夫なのかも」
 クロノも、あまりの急展開に、どうしていいか分からず立ち尽くしている。
 「ともかく、これでこの時代でできることは終わった。さっさとマールと本物の大臣を見つけて帰ろうぜ」
 暴れ損ねた輝が残念そうに続けると、そう言えば、と、カエルが首をひねった。
 「本物の大臣閣下はいずこにおわすのか?」
 みんなして首をひねったとき、かすかに、『おーい……』と言う声が流れてきた。
 「この声は……大臣……?」
 いち早くリーネが反応し、巧みに隠してあった箱を、たちまちのうちに見つけ出した。けして大きくない。横幅は、手をいっぱいに広げた長さの半分ぐらいしかないし、高さも膝までしかない。  「まさか……この中?!」
 カエルが信じれない、というような声で叫び、早速箱を開けようとしたが、鍵が閉まっているのか、全く開かない。
 「俺にやらせろ」
 やっと自分の活躍できる場面を見つけた輝が、箱の前に立った。
 「ずいぶん丈夫な箱だが……ほらよっ」
 輝が手に持った剣を捻ると、たちまち箱はいくつものパーツに分かれ、中から正しく、本物の大臣が飛び出した。
 「ああ、やっと……」五体満足な大臣の姿を認め、感慨深そうに両手を広げたリーネの口から、次に出た言葉は。「お風呂に入れる……!」
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