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むこう


 切り立った茶の崖に、銀白色のシルバーノアがゆっくり横付けした。短く少し高い音を立てて扉が滑り開く。
 その、長方形に作られた暗い戸口からにゅっと草鞋が突き出てきて、一枚の板を蹴り出した。シルバーノアと、岸壁とを繋ぐ踏み台である。板と地面がぶつかる甲高い音が響いた後、板を踏みつけてトッシュが出てきた。つづいて、サニア、アーク、ポコ、ゴーゲン、と続く。けれども、トッシュやポコは岸壁の上で立ち止まった。その横を、アークが手をさっと上げてから駆けて行く。
 「久々の帰還だからな、あいつも嬉しそうだ」
 誰に言うともなく、トッシュが言葉を口にした。
 「勇者サマを第一に降ろすべきだったかしら」
 そう言ったサニアの口元に、微笑が浮かんでいる。シルバーノアからはその間に新しい人物が降りてきていた。
 「もう行っちまったのか? 気の早いこったな」
 空の麻袋を数枚担いで出て来たエルクが苦笑いした。その後ろでは召還獣たちとリーザが樽を昇降口に引っ掛けて四苦八苦している。
 「ん……ありゃ?」袋を肩からおろしたエルクの眉間に皺が寄った。その眼はトウヴィルの村の方へ向いている。「神殿のほうから走ってくんの……アークじゃねぇか?」
 エルク含む13組26個の眼がトウヴィルの村に向いた。
 舞い上がる砂埃、それ以上の上空に舞い上がる真紅のハチマキ、動きが速すぎて常人には見えないと思われるほど速い手足の動き。強く結ばれた口や最大まで見開き血走ってさえいる両の眼がシルバーノア周辺軍に確認できるまで勇者が近付いてきた頃、勇者が……アークが叫んだ。
 「どいてくれ……頼む――!!」
 ただ事でない形相のアークに、全員がさっと(火事場のなんとやら、樽はリーザの力だけでスポッと抜けたようだ)道を空けた時。

 ガクっ!

 何事かとシルバーノアの出入り口に来たイーガの耳にさえはっきり聞き取れるほどの音を、アークの首が立てた。アークの後で、深い紫のしなやかな『何か』が、ゆっくり落ちついた。
 「な・ん・で。逃げるのかしらぁ?」
 地獄の底から沸きあがってきたかのような声色に、アークが恐る恐る振り向く。アークがためらいがちに視線を合わせた彼女は、掴んでいた襟首を放し、早口でまくしたてた。
 「何も私が二言三言言ってすぐに、しかも私にウィークエネミーまで掛けて走り出すことないんじゃないの? もっと付け足すとあなた途中でバーングラウンド使おうとしたわよね。火の聖霊様、力貸してくれなかったみたいだけど! えーえー、そりゃぁそうでしょうよ。アンデルやガルアーノみたいに悪の権化を倒すに魔法使うのはいいでしょうけど、仲間、それも聖母様に魔法ぶっ放すヤツに力与えるなんてなんてアホらしいものね! 火の力使えなくなっちゃらどうしようとか、考えなかったわけ? もーちょっと深く考えてみたらどうなの? 場所だってそうよ! 私の神殿の、入り口で唱えようとしたでしょ? 入り口潰れちゃったら、あなた、その落とし前どうつけるつもりだったのよ! 入り口塞いでみなさいよ、二度と中で休んだりセーブしたり出来なくなるって分かってなかったの?!」
 「おい、ククル……」
 エルクが言葉を挟んだが、ククルはおかまいなしに続けた。
 「うるさいわね、ちょっと黙ってて! いい? 魔法ってゆーのは、五大聖霊の力を、か・り・て! 普通わたしたち人間にはできないいろんな力をやらせてもらうって言う、そんな特殊能力なんだって知ってるんでしょ? 軽はずみにほいほい使っていいものじゃないの、濫用するもんじゃないの! それをあなたは! バーングラウンドがダメならってお次はゲイルフラッシュですって?! 何を考えてるのよ! しかもゲイルフラッシュは発動しちゃって村の草むら一つ焼けちゃうしさ!」
 「少し落ちつけよ、少し」
 再び、エルク。しかし、やはりククルは気にも止めない。
 「ゲイルフラッシュを私が避けたの見て、あなたそれなら、とか言ってどこで覚えてきたのか知らないけどエクスプロージョンとか言う奴使って来てさ! 火属性だったから不発で良かったわよ! あんなトコで火なんか出されたらトウヴィルは一瞬で火の海になってたトコだわ! そのとき私が一瞬仰け反ったのがきっと悪かったんだわ、あなたにその瞬間を利用して逃げられたんだから! 結局捕まったから良いけどね! ほら、戻るわよ神殿に! それからきっちり聞いてもらうからね! ほら、ほら!!」
 アークの肩を掴みずるずる引きずって行こうとするククルに、再三エルクが声を掛けた。
 「あのよ、何がどうなってさっきあんたが話したみたいな経過になったのか、全くわからねぇんだが。そいつをちょこっと説明してくれよ」
 ククルの足が止まった。
 けれども、数秒後、また進み出した。
 「アークに教えなきゃならないことがあるの! それだけよ」
 そういいながら去って行く2人を、エルク達は慌てて追った。
 「神殿に行きゃ分かる……よな?」
 エルクは呟いた。

 「……それでね、こ―いう時は……」
 ぞろぞろと神殿に入っていくと、奥のほうからククルの声が聞こえてきた。先ほどアークが逃げ出してしまったからだろうか、声の調子に怒りが含まれている。
 広間に置かれたテーブルに、ちょこんとアークは座っていた。閉じた膝の上に両の手をそろえ、かすかに背中をまるめて。その眼は前に仁王立ちしたククルではなく、その向こうにそそり立つ壁かを見ているようだ。其の事に気付いたククルが語気も荒く尋ねた。
 「ちょっとアーク、聞いてるの?」
 びくっと勇者の方が上下した。それから、少し間を置いて、ゆっくり小さな声で答える。
 「あー、……うん」
 その応答に、ククルは腰に当てていた腕を、胸の前で組み直した。少し仰け反り、せっかく組んだ腕を崩して左手を再び腰に、右手の人差し指でアークの鼻を差す。
 「もう! アークのためにやってる事なのに、肝心のあなたがちゃんと聞いてなくてどうするのよ! もう一回説明するから……?」
 「ククル」
 話していたククルの語尾が上がった。エルクが声をかけたのである。
 ククルの注意がアーク一味の主人以外に向いた事を確認した後、トッシュがエルクのセリフに繋げた。
 「なんか切実そうじゃねぇか。一体なんの講義だ?」
 「わからない?」
 ククルが不快そうにトッシュを睨んだ。
 「わからんなぁ」
 トッシュがにやっと笑った。
 「うーん、あんまり説明に時間とってらんないんだけどなぁー……」
 言いながら、ククルは机の上に放り出してあった本をトッシュに手渡した。青いハードカバー仕様で、分厚さはといえば悠に5cmはある。表紙、裏表紙ともになにもかかれていないが、背の方に銀の字で、大きく3文字箔押しされていた。
 「えっと……こ……?」
 字を見てトッシュは読もうとしたが、任侠のものという立場上まともに教育を受けていない彼には読める字が一文字しかなかった。
 「『カンピシ』って読むんですよ、トッシュさん」
 横からひょっこり出てきたリーザが文字を指差しながら教えた。
 「あ? 干瓢?」
 思わずトッシュが聞き返す。それを聞いたエルクが声を立てて笑った。
 「ちげーよ、カンピシだってよ。干瓢じゃねぇよ。おっさん、食い意地はってるのか? それとも肴繋がりか?」
 「んだと!? どうせ自分も読めなかったくせに!」
 「ああん? おっさんとは違って、それくらい読めるに決まってるだろ」
 「おっさんじゃねぇ! トッシュ様と呼べ、このガキ!」
 「やだね。誰が『様』なんか付けるか。『爺』。『トッシュじじー』となら言いが」
 「こんのヤロ……」
 「止めてくださいっ」
 取っ組み合いをはじめんばかりのトッシュとエルクの間に、リーザが慌ててわって入った。

 「干瓢でも何ぴょうでもいいじゃないですか、とにかく今はククルさんに何でこの本が関係あるのかを説明してもらわないと。違いますか?」
 リーザに見詰められて、トッシュとエルクはばつが悪そうにそっぽを向いた。その様子を確認したククルが、ふぅ、と、息を吐き、アークに向き直った。
 「たった20人足らずもまとめられないんじゃ、ほら。一国を治めるなんて夢のまた夢だってこと、わかるでしょう?」
 ククルに再び見られてびくっとしたアークは、恐る恐る頷いた。
 「ならきちんと聞きなさい。さっきも言ったけど、あなたのためなんだから! 『韓非子』に書いてあるみたいな方法を、実際に使わなきゃ行けないのよ。もう―……」
 言いながらリーザの手から『韓非子』をとり、開けてアークの眼の前に置いた。
 「じゃ、次は『五蟲』。政治を乱す五種の職業につく人について、よ」
 「あ、ちょっと待って」
 ずっと口を噤んで様子を見ていたサニアが、不意にストップをかけた。
 「私も横で聴いていていいかしら」
 何気なく発せられたひとことに、その場の人すべての目がサニアに注がれた。
 サニア本人は自分が注目を集めている事を知りながらもそれを臆する事もなく、ククル一人をみつめながら続けた。
 「『韓非子』って治術を論じている書物なんでしょう。ならば曲がりなりにもミルマーナの王女である私がその講義を受けてもおかしくはないわけよね」
 急な事に呆けていたククルだったが、後半部分を聞いているうちその表情が明るくなってきた。  「もちろん構わないわ! ミルマーナ王女……。ええ、そうよね。王族はそうあるべきよね、政治の話は聞くべきよね!」
 嬉しそうに言うククルの横で、アークが複雑そうな顔をした。ククルの言葉には、言外にスメリア王家の正当な継承者であるアークもそう然るべきという彼女の意見がこめられている。
 「それじゃあ、改めて始めましょうか」
 にっこり笑ったククルに、アークはびくつきながら言った。
 「ごめん、ククル……。俺……用を足してくる……」
 直後、アークはいつのまにか全員集まっていた『20人近い』仲間の合間を抜けて走り出した。

 無秩序に広がった草が、早春の柔らかい風を受けてゆっくり靡いている。延び始めた黄緑に交じり、ところどころで咲いている黄色く小さい花は春の訪れを告げるフュ―アル草だ。自然の絨毯の上にどっかり座り込むと、他の植物よりも一足先に長く延びたルカイの茎がアークの手に優しく触った。
 神殿やトウヴィルの村からは一番離れた、シルバーノアの停泊する岸壁とちょうど反対側の崖の上。背後には1mぐらいの段差があり、誰かが捜しに着ても見つかりにくいところだ。荒れ果てて茶色しかない村と違い、この辺りは緑が一面を支配していた。トウヴィルの岸壁で一番ゆっくりと時間の流れるところでもある。
 眼下に広がる雲の帯を眺めながら、アークは長々と息を吐いた。
 「……分かってるんだけどなぁ……。ククルが、俺の事を思ってやってくれてる事ぐらい……」
 一人になった安心感からか、不意にアークの口をついて言葉が出た。父の、小父の、母の顔が、そしてスメリア国旗の前にふんぞり返るアンデルの姿が、空に浮かんでは消えて行く。父は皇太子の地位を捨てた。弟の小父が即位したがしばらくのち死亡した。故国王の小父には息子がいた。
 「……そこで息子が即位した。それでいいんじゃないのかな……」
 皇位継承に関するスメリア王家の決まり事がどうなっているか、アークは知らない。だが、もしも自分に国王になる資格が、もしくはならなければならない規則があっても、アークはそれを辞退するつもりでいる。
 国を治められるものと、世界を救えるものは違うのだ。どちらも出来る人間など、いるはずがない。自分の力を使うのが、全くの別方向だからだ。一国を立派に治めるには、自我を押しこめて常に第三者であることを心がけなければならない。誰にも属さず中立でなければならない。だめな物を片っ端から破壊するわけにはいかない。
 「なるほど、俺の力ならばロマリアの野望を阻止する事は出来るかもしれない。けれども、所詮は何かを壊す力……暴力と何ら違いはないんだ。そんなものを振るう俺に、スメリアの人民がついてくるとは到底思えないんだよ、ククル……」

 純白の裾が翻る。
 腕が、足が、頭が、所狭しと振りまわされる。
 アークが一瞬の隙をついて出て行ってしまったために起こったご乱心である。
 神殿をこわさせまいとエルク達は必死だった。今はいち神官におさまっているとはいえ、1年前までトッシュやポコとともに世界を駆け巡り存分に身体を動かしていた彼女である。頭に血が上っている今、正確さに事欠くとはいえ、スピード、力強さ、ともにトウヴィルをぶち壊すには十分過ぎるほどであった。
 椅子が、花瓶が、本が、マットが、次々に飛んで壁に激突しては床に落ちた。
 「落ちつけ、こぶしをおさめろククル!!」
 さっきから何度叫んでいるかわからないエルクのセリフに、
 「落ちつけるもんですか、えーいっ!!」
 何度叫んでいるかわからないククルのセリフが答えた。
 飛んできたお玉をさっとガードし、エルクはあたりを見まわした。
 家具の散乱した部屋の片隅にはシュウとシャンテがいる。
 「むぅ……傷つけて封印に支障が出ぬのであれば構わず特殊能力を使うのだが……」
 「冗談なんだろうけどディメンションガンなんかその生真面目な顔で構えないでよ、シュウ!!」
 大声でシャンテが叫んだ。
 反対側の隅にはトッシュと少しだけ笑っているサニア。
 「かぁーっ、面倒くさい事になっちまったぜ。アークのヤツめ、仮にも恋人なんだったらもうちっと丁寧に扱えっての! 自分だけ逃げやがって!」
 「止める気無しね、あんた。腰は退きギミだし片手は頭掻いてるし。もっとも私も止める気なんかさらさらないけどね」
 そして、入り口に近いほうにはポコやリーザや、イーガなどなど、その他大勢。
 何でだ、何で止めないんだ。
 エルクは自分だけが必死にククルを説得しようとしていることに気付いた。自分の行動は間違っているのか、いや、間違っているはずがない。その証拠に本気ではないニせよシュウが行動を起こそうとしていた。
 なのに。
 なぜ誰も加担しようとしないんだ。
 というか……。
 「誰かアークを捜しに行って来いよ!!」
 「あっ」
 エルクの呼びかけに、リーザが声を漏らした。
 「そう言えば……アークさんを連れてこればククルさんも落ちつくんだ。うん、そうだ」
 ぽん、と手を鳴らし、リーザがさっそく駆けて行こうとすると。
 「ちょーっと待ったリーザ!」
 ククルが座布団を引っ掴んだままリーザを呼びとめた。
 「さっき安堵の色をあらわしたでしょう、あらわしたわね?! あなたまで、に・げ・よ・う・と! したわね??!!」
 リーザの肩が、びくん、と、一回上下に揺れた。ククルはつかつかとリーザに歩み寄り、肩に手を置いた。
 「あなたは行かなくて良いわ」
 にっこりと笑うククルに、リーザは思わず聞き返した。
 「え?」
 「ここにいて頂戴。……アークは私が捜してくるわ」
 言うなりククルは手を下して歩き出した。呆然とするリーザの横に、エルクが近寄ってくる。
 「ま。いいんじゃねえか? 結果的には神殿内での騒ぎがおさまったんだからよ」
 「う……うん……」
 「あとは」
 腕を頭の後ろで組みながら、エルクが言う。深い紫の瞳が瞼の後ろにかくれ、再び現れる。
 「アークが生きて帰ることを祈るだけだ」

 「やっぱり俺には王様なんてのは無理だ。俺に出来るのは世界の危険で有害で最悪で無益な輩を排除するだけであって。その後の政治云々はサニアみたいな人達に任せちゃえばいいんだよ。それぞれ得意分野は違うんだからさぁ。戦闘でもそうじゃないか。直接攻撃担当、呪文攻撃担当、補助呪文担当、回復呪文担当ってわかれてるじゃないか。待機担当ってのもいるけど……。そりゃあ少しはマシになるかもしれないけど、きちんとやり抜くにはうまれ持った天性の能力ってヤツが要ると思うんだよな。物理的な力を振るう方に能力が偏ってるのに、国を治める方の能力も追加しちゃえ、なんて、不可能だろ。エクスプロージョンやファイヤーストームを追加するのとは訳が違うんだし。第一欲張りだと思うし。将来の事を考えてレクチャーしてくれてるククルには悪いけど、俺には王位なんて全然向いてないんだ。だから……」
 「独り言が多いわよ、勇者サマ」
 いきなり背後から聞こえた声に、アークは声を止めて振り向いた。
 濃い紫の帯、深紅の着物、真っ白の袖、金色の飾り。大きく開いた瞳は水の石と同じ輝きを湛えている。
 けれども、ククルがそこにいることよりも、彼女の表情に怒りの色が浮かんでいない事の方が、アークにとっては不思議であった。講義をほっぽり出してきたのだから、天地を割らんばかりに怒鳴られる筈なのに、である。
 「ク……ククル……」
 何がどうなっているかサッパリわからないアークは、そうとだけ言った。その言葉を聞いているかいないでか、ククルが斜面を降りてくる。
 アークの真横まできて、彼女は腰に右手を当てた。ふわりと白い布が捲くれ上がる。左手はだらんと垂れ下がったままだった。
 「いつからそこにいたの?」
 アークが恐る恐る尋ねた。
 「さぁ? 戦闘でもそうじゃないか、あたりかしらね?」
 「ウソ……」
 アークの視線がルカイに落ちた。一塊のセリフの、大半をククルに聞かれていたのだ。
 「そんな事でウソついてどうするのよ。もう、しっかり聞かせてもらいましたとも。追加特殊能力についてとか天性だとか。でもさ」
 「?」
 ククルの眉が少し下がった。幼い子供がいたずらをして逃げて行く時のような。少し恥ずかしそうな。
 「『欲張り』ってのはアークだけじゃないから」
 「それってどういう」
 ククルの右手が腰から離れた。そのあと彼女は、アークの横に座りこんだ。両足を少し曲げて前でそろえ、その上で手を組んだ恰好で。身体の下敷きになった裾をアークがさっと退けてやる。  「私さ、そりゃ、アークはスメリア王家の正当な継承者なんだからって意識もあったんだけど……、アークが立派な王様になったら堂々と結婚できるなって思ったんだよね」
 アークがはっとした。
 ククルのフルネーム、ククル・リル・ワイト、からも分かるように、ククルはワイト家の一人娘である。
 件のワイト家は古の七勇者の一人、ワイトから始まる旧家で、そのためにいろいろな制約がある。その一つが婚姻に関することである。それによると、ワイト家の娘は時の権力者に嫁がなければならない事になっている。
 ククルはそういった掟に縛られるのを拒んで家を抜け出したのだ。
 「もしアークが王様で、政権を握ってるんだったら、それ以上の権力はないよね、って。アークはきちんと王位におさまって、私は誰にも憚らず結婚できるからって、そう思ったから……。私も、欲張りだったから」
 空の彼方を見やるククルの眼は、アークにとって、とても哀しそうに見えた。
 「ククル、まだあんな掟気にしてたのか? あれは間違いだったんだろ」
 じれったそうにアークが言う。
 「間違いでも、慣習ってやつが邪魔するからね。アホ臭い事だけど」
 「うん、アホ臭い。それにそんな事を気にかけるククルもククルだ」
 「なっ! アーク……」
 立ち上がろうとしたククルを、アークは手で制した。そうしておいてにっこり笑いかける。
 「気にかけてる暇があるんだったら挙式の相談してる方が時間を有効に使えるぞ。俺はいつだっていいんだから。別に今でも」
 「無茶いわないでよ、もう。幸せに浸ってていいのなら、既にやっちゃってるでしょうが」
 そこまで驚いたふうもなく言葉を返すククルは、まんざらでもなさそうだった。
 「ほら、アーク」
 思い出したようにククルが立ちあがり、アークの腕を引っ張った。
 「神殿に戻らないと」
 ククルの腕につられたかのように、アークが立ちあがった。
 「能力がどうとかって問題じゃないでしょ、王様なんて。なるもんはなるの。だったら今からきちんとやっておかなきゃだめでしょ」
 「げ……」
 露骨にいやぁな顔をするアークを、ぺしん、と緩く叩いてから、ククルは腕を掴んだまま走り出した。
 紅く細い布が、ひらひらと、空を舞っている。

 --END--